吉永小百合の魅力とは

吉永小百合さんというと、日本を代表する大女優さんだ。筆者は世代ではないものの、彼女の名前だけなら知っている、それは例え吉永さんが出演している映画作品を見たことがない人であってもだ。国民的女優であるのに高嶺の花であり続ける吉永小百合さん、その魅力は何処にあるのか、このサイトはそんな吉永小百合さんについて考察していきます。

吉永小百合という女優について

吉永小百合さんの原点を紐解いてみる

名女優、大女優とこの方を称する言葉ならいくつあっても表現できない、出来るはずもないと言わしめるほどの貫禄を持っている吉永小百合さん。大げさだという人もいるでしょうが、今年にはもう70歳を超える方であるのに、その容姿はまだ女優としてデビューしてヒットし始めていた20代とほとんど変わっていないのだ。順当に老いを重ねて極端に老ける事無く現在まで、役者としての道を歩き続けている。今ではほとんどメディアには出ず、地上波の番組で映る機会があるとすればCMか、また映画などの公の場が出てきた姿が録画映像で放送されるかのどちらかしかない。

メディアに出ない事には色々と思うところがあるのかもしれませんが、ファンとしてはもっとリアルな日常を過ごしている素顔を少しでも垣間見たいと感じているはずだ。ならばとバラエティ番組に出演すればいいと、一言では語れない事情もありそうだ。

これまでの歴史から見てきて、吉永小百合と呼ばれる女優がどうやって完成したのかを見ておきたい。ルーツを知らない人にしてみれば、最初からこんなに綺麗だったのかと思うかもしれません。そうです、本当に昔から綺麗だったんです。今の時代はフォトショなどを使えば女性は簡単に写真を加工できる、それも人間味が感じられないマネキンにだってなれるはずだ。修正するのはもう社会現象的に認知されていますが、昔はそんなことしている暇はありませんでした。

女優は美しくなくてはならないとはよく言ったものですが、そんな激動の時代において吉永小百合という人間がどのようにして生まれたのかを簡単に見ていこう。

吉永小百合さんの歴史

吉永さんが生まれたのは1945年3月、日本が世界大戦の折に降伏する年の5ヶ月前に東京で誕生した。この点から見ても、戦後の他国侵略を余儀なくされた日本の惨状を目の当たりにして、苛酷な生活を強いられていたのが見て取れます。戦争時における苦労こそないにしても、敗北した後の日本を当時を知る人達にしてみれば生き地獄、そう語る人も多いからだ。降伏し、やっとGHQの支配から解放された後、日本は目覚ましいまでの経済的復興を遂げる。今まで自分たちになかった新しい生き方・働き方が見いだされる時代が過ぎる中で、吉永小百合という少女が女優への第一歩を踏み出したのが1957年のこと。当時まだ小学生だった吉永さんは『赤胴鈴之助』という連続ラジオドラマにてデビューを果たし、放送してから制作されたテレビドラマでテレビデビューを飾ります。

デビューしてから2年後には銀幕デビューもしているものの、まだまだ子役の域を抜けだせずにいたためにさほど話題を集めませんでした。そんな吉永さんの芸歴に転機をもたらしたのが、後にブルーリボン賞主演女優賞を若干17歳で受賞した瞬間から、めくるめくシンデレラ物語が奏でられていきます。

1960年代を代表する女優として

高校生の頃にヒロイン役に抜擢されて吉永さんが名実ともに女優としての道を切り開いたのが『キューポラのある街』、今作で史上最年少でブルーリボン賞主演女優賞を獲得という華々しいスタートをきることになった。ただ当時、まだ10代だったこともあってか女優業の他に歌手業も平行して行っていた。ちなみにそちらも大ヒットを記録して、その年の日本レコード大賞を受賞したほど。CDが恐ろしいほど売れるような時代ではなかったため、これだけ売れればもう売れっ子といっていいレベルだ。ただ当時は女優一択というよりは、どちらかといえばアイドル的な要素が強かったと認識している人も多いでしょう。

若々しく、熟した魅力はなくてもリフレッシュさと大和撫子という言葉を体現したような佇まいに多くの男性が魅了されたはずだ。ヒットをきっかけとして普通の女学生という立場から、日活撮影所を代表する看板女優としての名目も受けるようになり、一時は一年間に70本もの映画に出演していたという。改めて言うまでもないが、それがどれほど殺人的なスケジュールかはいう必要もない。寝る暇もないくらいに仕事に明け暮れていたためか、高校を中退しなければならなかったほど。果たしてそこまでしなければすぐに売れなくなってしまうのだろうか。

日活にとって見れば

多忙さのせいで学業から身を引かなくてはならなかった、確かに高等学校は義務教育ではないにしても、犠牲にしていいと言うものではない。それだけ日活が吉永さんに期待していた証でもある。どうしてそこまでと理由を調べてみると、同事務所はその頃新規ファンを取り込むことが出来ず、ややマンネリ化した状態にあったというのだ。制作する作品もアクションを中心とした男性主演の映画ばかりで、それだけではない新境地を目指していたのです。

そこへ吉永小百合さんとその相手役を務めた浜田光夫さんらが出演したキューポラのある街が大ヒットしたおかげで、吉永さんのブロマイドが爆発的な売上を記録して、入手困難とまで言われていたほど。まさにアイドルと言えるくらいに人気を博していたのだ。女優ではあるものの、デビュー時の状況を鑑みれば女優よりもアイドル的な路線にも傾倒しつつあったと見ていいでしょう。

本質はやはり女優

ドラマに映画、そして歌手といういくつものわらじを履いて活躍していたわけですが、やはり吉永小百合さんの主軸となったのは女優業だ。現在でも歌にドラマと、演技に歌手といった多岐にわたる活動をしている人は多い。とりわけ例を上げれば、柴咲コウさんが一番のヒット例でしょう。演技も出来て歌も上手い、それだけでも2流・3流のアイドルとは比較にならないほどだ。吉永さんのようになれるかどうかという話になると難しいですが、やはりそれでも肝心なのは何を自分の主軸にするかではないだろうか。

吉永小百合さんは現時代においても『女優』として、その実力を伸ばしつつある。変わらぬ演技力と作品に込める意気込みなどは若手や中堅は夕に及ばず、彼女と同等に位置する大物であっても真似できない、そんな強みを持っているのだ。そしてそれを証明するのが、数々の作品に残された逸話が吉永さんを女優たらしめんとする材料を示している。

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